「華氏451」 |
こんにちは、鱈雄磐禰です。
ご購読ありがとうございます。 なんか、この無料なのに「購読」ツーのに違和感を覚えるんですけど・・・それはそれとして。
本日は「華氏451」です。
近未来。読書が禁じられ、本の所有者は、それを自ら廃棄しなければなりません。密告によって本を所持していることが分かった家には「消防士」がやってきて、本を焼き払ってしまいます。
どうも戦争中のようです。
主人公のファイヤーマンの家に集う奥様方の中の何人かの旦那様は戦場に行っているようで、そういう台詞が出てきます。
でも、奥様方は、なにも考えてないようで、・・・いや、考えないようにしているようです。
焚書が行われるシーンはナチスドイツの記録映画がカラーになったみたいで、実にファナテックな感じがします。 「消防士」と言う名称の焚書執行官が徒党をなして民家に「消防車」で乗り付け、部屋の中に隠されている本を片っ端から探し出し、それを積んで火炎放射器で焼いて行くシーンは、とても暴力的です。
人々は読書を禁じられ、テレビを見て暇をつぶしています。 その中で面白いのが、テレビの中の人たちが視聴者にいきなり「キュー」のようなものを出して、「出演者」の一人にしてしまうドラマというか討論番組のようなものがあるところです。
テレビとインタラクティブにやりとりするというのは、昨今の地デジでリモコンや携帯・スマートフォンでクイズやアンケートに参加ものにちょっと通ずるものがあって、そのうち今見ている地デジでも、テレビの出演が視聴者に 「消費税増税は、まずいんじゃないかな」 「うん、わたしもそう思う」 「で、太郎(視聴者の名前です)はどう思う?」 と意見を直接求めてくるとか・・・。
統合失調症のテレビ体験が組み込まれたプログラムみたいで、かなりブラックですね。
テレビが映画を、そして書籍を圧迫し始めた時代の映画ですけれども、今見ると、より切実に思える映画でした。 電子書籍は日本ではそれほど普及していないようですが、アマゾンキンドルは米国では非常に普及しているそうです。
フランソワ・トリュフォー監督は、ある意味全体主義的な暗黒世界を描いているのですが、それがスタイリッシュにも見えてしまうところも、ナチスをイメージさせます。 「1984」のようにビッグ・ブラザーは出てきませんけど。 テレビというのは、全体主義もののSFでは、重要アイテムみたいですね。 とにかく無思考化装置かつ監視装置と両作品では描かれています。
なお、「華氏451」というのは、紙が燃え出す温度のことだそうです。
ラストシーンがそれまでの展開と比べて非常に幻想的なのが、いつまでも記憶に残りそうです。
ではでは。
著者:鱈雄磐禰 発行元:映画の友 http://movie.sblogs-domain.com/
| 投稿者:admin | date:2014/10/15(水)22:00
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